2016年11月11日 (金):「衿野未矢」を偲ぶ会

衿野未矢の偲ぶ会が下記の日程で執り行われます。

【「衿野未矢を偲ぶ会」 ご案内 】

謹啓 
皆様にはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて この度 亡き衿野未矢の「偲ぶ会」を下記の通り執り行うことと致しました。ご参集賜りますようご案内申し上げます。
また、生前賜りましたご厚誼ご厚情に対しまして亡き衿野未矢に代わり厚く御礼申し上げます。
謹白
平成28年11月10日

****************** 記 ******************

◇ 日 時 平成28年12月3日(土)
15:00~17:00

◇ 会 場 日本出版クラブ会館 3F鳳凰の間
住所:東京都新宿区袋町6 /  TEL:03-3267-6111
http://www.shuppan-club.jp/?page_id=12
《アクセス》
・都営地下鉄大江戸線「牛込神楽坂駅」A2出口より徒歩約2分
・JR「飯田橋駅」西口より徒歩約8分
・有楽町線・南北線「飯田橋駅」B3出口より徒歩約7分
・東西線「神楽坂駅」神楽坂口より徒歩約7分

◇ 会 費 7,000円
香典・弔電(電報)・共花・共物は
お気持ちだけ頂きご辞退させて頂きます。

※ 当日は平服でご参集賜りますようお願い致します

*******************************************

発起人 大羽 謙一    090-8811-1885 / obazoukin@docomo.ne.jp
木村和生
高崎 真規子
クローリー 美保
府木詠美子


11月 11, 2016 ニュース |

2016年10月11日 (火):死亡報告

妻 衿野未矢(本名:櫻井規枝)儀 かねてより入院加療中でございましたが 、去る9月17日 病状にわかに悪化し、午後10時14分 享年54歳で他界いたしました。

葬儀は近親者にて9月20日滞りなく相済ませました。ここに故人が生前中賜りましたご厚誼を深謝し衷心より御礼申し上げます。

本来ならば早速お知らせ申し上げるべき処でございましたが、深い哀しみのうちにご通知が遅れました事をお許しください。

失礼ながらブログをもってお知らせ申し上げます。

平成28年10月11日
喪主 櫻井俊幸

10月 11, 2016 ニュース |

2016年9月 9日 (金):闘病メモ 麻薬

@夫の桜井俊幸による代理投稿です。衿野未矢が少しずつ書いていた闘病メモです。

依存症の取材の一環として、イリーガルなドラッグ、いわゆる麻薬などについてはいろいろと学んできたけれど、自分がこれほど大量に摂取することになるとは思わなかった。
もちろん違法ではなく、医師の処方箋に従った、健康保険のきく麻薬である。
私の詳しい病状は、雑誌に手記を書くので、多くは語らないが、痛みをやわらげるために、24時間ずっと点滴で麻薬を入れている。モノはフェンタニール、アメリカのミュージシャン、プリンスが、過剰摂取により命を落としたと言われている麻薬だ。
それだけでは抑えきれない痛みに襲われると、一時的に量を増やす。このフラッシュと呼ぶ増量を経験するうちに、麻薬の依存性を実感することになった。
私が使用している 麻薬は、まず痛みに効く。お腹が痛くなるときは、全体がくまなく苦しくなるのではなく、胃のあちこちに、小さな痛みの花が咲く。フェンタニールは、あちらに一輪、こちらに一輪と開いた小さな花を、一つ一つ、つぼませてくれるのだ。
少しずつ痛みが去ってゆく安堵感に加え、リラックス効果もある。
今は痛いけれど大丈夫だ。
もっと痛くなったら、まだ別の薬があるから平気だよ。
‥‥さっきまで眉にしわを寄せて痛みに耐えていた私が、気がつけば笑みを浮かべているのである。この解放感に、強い依存性があるのだ。
もし私が元気いっぱいで飛び回っているときに、フェンタニールの点滴を受けても、ほとんど依存はしなかっただろう。世の中には、もっと刺激的で楽しいことがたくさんある。
しかし病院のベッドで、痛みの花と共存している今、その効果に感謝しつつ、依存性を実感している。
ナースコールを押すだけで、ベッドに横たわったまま、何の努力もせずに、身体と心の安定が得られるのだ。薬物の力に、意志の力で抵抗するのは不可能である。

9月 9, 2016 |

2016年9月 6日 (火):闘病メモ 幸せ

@夫の桜井俊幸による代理投稿です。衿野未矢が少しずつ書いていた闘病メモです。

この病気になったおかげで、私は自分が大きな幸せに包まれていることを、実感した。

夫は、全ての時間と労力を私に注いてくれた。40.5度の高熱がが出た時には、一晩じゅう足をマッサージしてくれた。

吸い飲みでポカリスエットを口に注ぎ込んでくれたり、氷まくらの位置を微調整したり、トイレに立つ時は、起こしてくれたりと、ゆきとどいた世話をしてくれる。

そのひとつひとつの行為には、私の身体が少しでも、楽になるようにという、深い思いやりが、こもっている。

そばにいてくれるだけでも、大きな慰めとなるのに、夫は、彼の腕や足を常に私の為に動かしてくれている。

夫の愛情の深さ、それは夫と私とが、強い信頼感で結ばれているであろう。

私は夫を愛していて、夫も私を愛している。私たちは、深い信頼で強く結ばれてた、本当に幸せな夫婦なのだ。

自分より先に逝った人たちのことを思い浮かべてみる。父方の伊三郎おじいちゃん、つるおばあちゃん、母方の剛夫おじいちゃん、あき子おばあちゃん、京都の隆子おばさん、西陣の幸子おばさん、俊幸の従弟の匠さん。

このメンバーの中に、私も加わるのだなあ。それまでには、まだ沢山の痛みや苦しみを乗り越えなければならないのだろうなあ。

そのプロセスのひとつひとつに、夫を立ち会わせてしまうことが、とてもとても切ない。

切ない一方で、一緒に乗り越えて貰えることが、本当に心強い。あと少しのお付き合い、どうぞよろしくお願いいたします。

吉井規枝として生まれ、衿野未矢として生き、そして桜井規枝として生涯を終える事が出来るのは、本当に幸せだと思う。

こうなってしまった私を、大事な宝物のように、たっぷりの愛情とともに、尊重し続けてくれる夫。

その夫の、姓を名乗って、最後の瞬間まで、幸せにいられると思う。人よりも短い人生でも、桜井俊幸の愛に包まれて、過ごしている今、この世に生を受けて良かったと、心から嬉しく思う。

三年前の誕生日に本格中華料理店へ連れていって貰った。馴染みのない料理が義父の口には合わず、私の食べたい料理は、ほとんどオーダーできなかった。

唯一これだけは絶対に食べたいと、強いて頼んだフカヒレの姿煮は、義父が気に入って、大半を食べたので、私は端っこをほんの一口貰っただけだった。

今、痛みと苦しみのせいで、遠慮が出来なくなった。夫に平気で物を頼む、そんな自分に、解放感をおぼえている。

私という人間を幸せにしてくれた。夫がそのことに、喜びと誇りを抱き、これからの日々を生きるよすがとしてほしい。










9月 6, 2016 |

2016年9月 3日 (土):闘病メモ 夫

新潟市内にある大学病院にいたときの話です。


かつて受けたマラソンのトレーニングを思い出し、ベッドの上でもできるメニューを組み立てた。
そのうちの一つに、身体の側面を下にして寝そべり、まっすぐに伸ばした足を持ち上げて、脚力を鍛えるストレッチがあった。右側を下にして5回、左も5回と、身体をゴロゴロさせて繰り返すうちに、下腹のあたりで何かがうごめいた。
「これは、もしかしたら‥‥?」 
 お腹にそっと力を入れてみると、ブォーッと低い音がして、ガスが出た。もう一度、右、左とやってみたら、またブォーッときた。
自分の意思でガスを出せたのは初めてだ。大発見だ。足を持ち上げるのはやめて、ゴロゴロするだけにとどめてみた。右、左、さらに右、左。今度は便意が来て、トイレに走った。
 9時の消灯時間を過ぎて、部屋は暗い。あと一回、ゴロゴロ・ストレッチをしたら眠ることにしよう。再び右へ、左へと寝返りをうつ。さらに効果を高めようと、横向きのまま海老のように身体を曲げていたら、部屋の入口で足音がした。看護師が見回りに来たのだろうと思っていると、足音が急に早くなった。
「どうした! 腹が痛いのか!」
 私に駆け寄ってきたのは夫だった。苦しさのあまり、身体を曲げているのだと勘違いしたのだった。  
「えっ、嘘、なんでここにいるの?」
夫は今朝、出張先である山形県のホテルから、おはようのメールをくれたのだ。
病室はしんと寝静まっている。小声でガス抜きのストレッチだと説明してから、部屋を出て、エレベーターホールに向かった。
面会時間は決まっているが、世話をする家族は黙認してもらえる。東京での仕事を終えてから来る夫の到着は、早くても9時ごろである。どの病室からも離れていて、深夜でも明るいエレベーターホールの長椅子が、夫と私の定番の位置だった。
「さすがに今日は疲れたよ」
夫の黒いコートの肩は、溶けた雪で濡れている。新潟駅まで電車で来て、すぐタクシーに乗ったのだろうが、今夜は風がある。さぞ寒かったことだろう。
「どうやって来たの?」
「特急と新幹線を乗り継いだゆ」 
 昨日の昼に東京を出た夫は、海ぞいの被災地で復興推進イベントの運営に関わった。太平洋沿岸から日本海まで、日本列島を横切ってきたのだ。
「何時までいられるの?」
「いつもどおり、10時にタクシーを予約してある」
 面会時間を過ぎると、客待ちのタクシーはいなくなる。予約して迎えに来てもらい、新潟駅へ向かうのだ。上りの上越新幹線の最終に乗り、38分後に浦佐駅で降りる。浦佐駅の駐車場で自家用車に乗り換える。
浦佐駅から自宅までの道のりは、降りしきる雪の中だろう。ゆっくり走るから20分以上かかる。運転があるからと、ここまでの道中では大好きなビールも我慢だ。自宅に着き、晩酌を始めるのは11時半を過ぎる。
冷蔵庫にビールは入っているだろうか。入院前に買い置いてあったサラミや魚肉ソーセージは、もう残っているはずがないが、何かあるだろうか。

9月 3, 2016 |

2016年8月30日 (火):闘病メモ 体力

 @夫の桜井俊幸による代理投稿です。衿野未矢が少しずつ書いていた闘病メモです。

完全バリアフリーの院内で生活していると、体力はどんどん落ちてゆく。少しでも歩くのが有効だという。 そこで、よく出かけたのが売店だった。
  1か月ほど入院していた大学病院は売店も規模が大きく、扱い商品が多かった。入院生活に必要な小物やおむつコーナーが充実しているほか、複数のパン屋さん、弁当店、菓子店の棚がそれぞれあった。
  私は和菓子店の桜餅が気に入り、食欲のある日は必ず食べた。季節商品の棚もあり、夫と義父へのバレンタインタインチョコレートも買うことができた。
一方、魚沼 基幹病院には、セブンイレブンが出店している。同チェーンが病院に出した第一号だそうで、試行錯誤しているようだ。
 入院生活に必要な小物や、院内で働く人向けのボリュームあるお弁当、患者の食事の補助となる佃煮類が多いのは大学病院と共通ふする。
 不思議なのは、お酒は置いてないのに、おつまみコーナーが充実していることだ。さきイカ、サラミ、ナッツ類を見ながら、誰が買うのかと考えてしまう。
  体力維持のため、洗濯もできるだけ自分でした。同じフロアにあるコインランドリーまで洗濯ものを運び、また取りに行くのは、かなりの重労働だ。
 お風呂に入るのも重労働である。体調がよければ1人でシャワーを浴びるが、たいていは、看護補助さんに付き添われ、身体も洗ってもらう。
  お風呂に入るため、裸になるのは苦痛だった。痩せ細り、お腹だけがポコンと飛び出している身体を直視させられる。
 大学病院に移動してすぐ、大阪府に住む妹が、お見舞いに来てくれたが、やはり私の姿に強いショックを受けたようだ。
 私は妹に会えた嬉しさで、ただただ舞い上がっていたけれど、半年ほど会わずにいた間の変貌ぶりは、かなりのものだったのだろう。
 それでも妹は、私の前では気丈に振る舞い、たくさん会話をして、たっぷり笑った。2人で日本海の見える院内のレストランに行き、妹は山菜そば、私はカフェオレを頼んだ。
  カフェオレはメニューにないのに、店員さんは笑顔で引き受け、牛乳の量や温度に気を配ってくれた。
「病院の受付の人も、看護師さんも、このレストランの人も、みんな言葉が柔らかくて、優しくて、すごく親切。なんだか安心した!」
 そのあと妹は、たまっていた洗濯ものをコインランドリーで洗い、病室の棚を手際よく整理してから、帰って行った。
ほかにも 妹には、下着を買って送ってもらったり、華やかなカードを届けてくれたりと、本当にお世話になった。病院で貸与される病衣だけでは寒いので、上に羽織るベストが欲しくなったときにも、妹を頼った。ネットでさまざまな候補を見つけてくれて、一緒に選んだのは、楽しい思い出の一つだ。
 
 静岡県に住む両親は、もちろんすぐに飛んで行きたいと言ったし、私も会いたかったが、妹が受けたショックを思うとためらわれた。
 父は88歳、母は81歳である。毎年1回、夫婦で海外旅行に出かける元気さだが、体力はかなり弱っている。
  結局のところ、再び基幹病院に戻り、お腹の出っ張りも少しはマシになったところで、両親から会いに来てもらった。

  義父も、ドライブがてら、大学病院まで来てくれた。その日に備え、売店に行っては義父への好きな抹茶味のお菓子を買い集めておいたが、張り切って包みを渡したところ、手を出してはもらえず、「いっぺ(たくさん)あるのぉ」と苦笑されてしまった。
 義父と夫と3人で、妹と行ったのと同じレストランに行った。夫はラーメンとミニカレー、義父はカツカレーである。盛りのよいカレーをペロリと食べる義父を見ていると、お粥しか受け付けなかった日々が嘘のようだ。よくぞここまで回復してくれたなあと、改めて嬉しくなった。
  

8月 30, 2016 |

2016年8月28日 (日):闘病メモ、回診

@夫の桜井俊幸による代理投稿です。衿野未矢が少しずつ書いていた闘病メモです。 新潟大学の病院に、しばらく転院していたときのことです。

ここは大学病院だから、週に一度、教授回診というものがある。スタッフにとっては一大イベントらしく、朝から緊張感が漂う。シーツの交換も、その日に合わせて行われ、教授の来訪に備える。
私には2度目となる教授回診の日、隣のベッドに来ていた見舞い客の、こんな声が聞こえてきた。
「なじょもんか、廊下にいーっぱい人がいたてー。白衣を着た人が20人ぐらい、行列になってぞろぞろ歩いてるがぁ。はぁ、おら、たまげたのー」
やがて看護師長が病室に入ってきて告げた。
「もうすぐ教授が来ます。お腹をごらんになるから、失礼しますね」
かけ布団をめくり、きちんと折りたたんだ。シーツのしわも伸ばした看護師長が足早に去ってからほどなくして、教授の御一行が病室に入ってきた。
派手なえんじ色のメガネをかけた、体格のいい男性である。主治医や議論を交わしていた内科医の顔も見える。学生だろうか、若い男女数人が教授の脇に固まっている。
教授が私のベッドまで来ると、看護師長が手早く病衣をめくりあげ、お腹を出した。教授が両手をあてがい、お腹をたたくと、ポン、ポンと小気味がいい音が響く。
「ガスがたまっているときは、こういういい音がする。腹水ならば、こんな音はしない」
学生に説明をした教授は、私に顔を向けて言った。
「学生にもたたかせていただいていいですか?」
「はい、もちろん」
学生たちは1人ずつ前に出て、神妙な表情で私のお腹をたたいた。そのたびに、ポン、ポンと、乾いた音が病室に響いた。

8月 28, 2016 |

2016年8月27日 (土):トーストで朝食

トーストで朝食
トーストで朝食
トーストで朝食

8月 27, 2016 |

2016年8月27日 (土):闘病メモ①

***夫の桜井俊幸が代理で投稿します。
衿野未矢が、少しずつ書いていた闘病メモです。


 3月末の退院が近づくと、高カロリーの輸液のおかげもあるのか、次第に力がわいてきた。食欲も出てきて、出された食事の3分の1をたいらげるようになった。
 もっと食べて、さらに元気を出したい。そんなとき頼りになるのが、管理栄養士さんだった。
  看護師さんを通じて相談したいと伝えると、病室に管理栄養士さんが訪ねてきて、食事についての希望を聞いてくれた。
  医師に指示されているメニューは、お粥と、カスが残りにくくて腸の負担にならない「低残渣食」である。たとえばほうれん草なら、葉先の柔らかい部分だけを、よく煮込んである。
 さすが食材の宝庫である魚沼だけあって、ごはんも、おかずも美味しい。白菜の甘みと味噌の香りが際立つ味噌汁など、思わず目が細くなる。
 ただ、低残渣食は、どうしても和風の煮物が多くなる。煮魚や煮込んだ野菜は、魚沼の伝統食でもある。大根の煮物、白菜と油揚げの煮物、にんじんの千切りと豆腐の煮物、これらはすべて、私の苦手な料理である。
 また、海沿いで育った私は、お刺身でも食べられるアジやイワシ、タイ、カレイなどに、さっと火を通しただけの煮魚に慣れている。よく煮込んで硬くなった魚には、どうしても抵抗がある。
 しかも量は食べられない。せっかくきれいに盛り付けてあるおかずに、ほとんど手をつけないままお膳を返却するのが申し訳なくてたまらない。
 それらを管理栄養士さんに話し、要望を述べた。
「温泉玉子と玉子豆腐がありがたいです。その二品を交互に出していただけませんか? あ、でもシチューやトマト煮込みのような、洋食はいただきたいです」
 さらに、こんなお願いもした。
「毎食お米だと飽きてしまいます。パンも食べたいです」
  朝食につく飲み物は、ヤクルトとジョア、牛乳、そしてヨーグルトから選べるという。まずヨーグルトを頼んだが、酸味が強くて食べにくいのでジョアに替えてもらった。
 ジョアは、いちご味とマスカット味が交互に出る。マスカット味はやはり酸味が強く、毎日いちご味にしてくださいとお願いした。
  こんなわがまままで聞いてもらったおかげで、食事が楽しみになった。朝は食パンが2枚出る。1枚で足りると伝えたが、2枚セットが最小単位だそうだ。
  朝食が配られると、食パンをお皿に載せて、ラウンジに向かうのが習慣になった。
 椅子やテーブル、大型テレビが置かれたラウンジは、患者が息抜きをしたり、見舞い客と会ったりするのに使われる。
流し台と電子レンジ、オーブントースターもあり、付き添いの家族が食事をしていることも多い。
 ラウンジのオーブントースターで食パンを焼き、ジャムかマーガリン、ケチャップ、マヨネーズのどれかでトーストを作る。 できあがったら、熱いうちに急いで病室ヘ戻り、朝食である。
 ある日、朝食が配られた直後に夫が来た。まだ何も食べていないという。ならばと、お盆を持って2人でラウンジに行った。
  食パンを焼き、いちごジャムを塗って、「はい、どうぞ」。お正月以来、3か月ぶりで夫のために料理をした。
  ラウンジには大きな窓があり、なだらかな里山が見渡せる。ここから約2キロの位置にある、上越新幹線の浦佐駅も見える。
 例年なら、たっぷりと雪が残っている時期だが、暖冬のため、山々はすでに青い。
「春だねえ。退院するころには、山菜シーズンが始まるかな」
「ああ、早く料理したい」
「楽しみに待ってるよ」
おかずのサラダとスクランブルエッグを分け合いながら、笑みをかわした。


*****この頃は、もっと回復するだろうと思っていたのですが‥‥。

8月 27, 2016 |

2016年8月15日 (月):

昨年末から入退院を繰り返し、今も入院中です。

これから麻薬治療に入り、昼も夜も眠っていることが増えるでしょう。

夫が献身的に支えてくれて、とても幸せな日々でした。たくさんの思い出ができました。

夫と結婚し、充実した楽しい人生でした。感謝!

皆さん、本当にありがとうございました。

衿野未矢

8月 15, 2016 |